こんにちは。
hiroです。
いやー野球決勝進出おめでとうございます!
熱い試合でした!
やっぱ野球は熱が入ります。
というのも実は僕、
高校まで本気で野球に取り組んでいたんです。
甲子園も目指しておりました!
始まりは小学校3年生に上がるタイミングでした。
そこで少年野球に入団しました。
元々おじいちゃんが野球選手だったていうのもあり
小さい時からおじいちゃんから指導をもらい
お父さんとかとキャッチボールとかはしていたのですが、
本腰入れ始めたのはこの時期でした。
ポジションは左利きというのもあり、
ピッチャーをずっとしてました。
しかし僕にとって野球は挫折と葛藤の日々でした。
挫折というのは小学校の時に1回野球肘になり
高校の時に骨盤骨折、腰痛、左肩関節唇を損傷と
ほぼずっと怪我と向き合っていた野球人生でした。
高校の3回怪我はだいぶメンタルをやられ、肩に関しては
手術の必要があったのですが、手術をすると治るのが高校3年生の秋くらいと、
治る頃には引退、そして選手として甲子園に出れないのが
確定するということになり、自分は甲子園にいくために高校に入ったのにと
何をしているんだと、毎日が辛くやめるか手術かそのままリハビリで
頑張るかの葛藤日々でした。
結局手術はせずに、毎週病院に通い、針を受けに行き
リハビリでなんとかやっていたのですが、完治はせず
ベンチにも入れず、高校生活は練習試合の代打の1打席で終わりました。
しかしこの日々があるからこそ、今の自分がいるのは
間違いないと思ってます。
その理由は怪我をしていつも支えてくれた親のありがたみはもちろんですが、
新たな夢ができ受験という道を選んだことは間違いなく今の自分を語る上で
外せないできごとになったからです。
元々は受験する気もなく、専門学校くらいを考えていましたが、
怪我をすることでいろんな医療関係の仕事のかっこよさと優しさに触れ、
その時に自分もこうゆう人間になりたいと思うようになり、
医学の道を志すことを決意しました。
しかしそう受験は甘くなく、現役受験は失敗し、
浪人をすることになりました。
1浪して猛勉強しましたが、結果届かず。
2浪する気持ちもなく、医学の道を諦め
都内の私立を受けることにしました。諦めるんかい!というツッコミは無視します。笑
受験では運が重なり過ぎて、青学に合格。
そのまま青学に行くことで僕の受験生活も終了しました。
この青学こそ、医療の道から世界の貧困問題に目を向けるきっかけを
作ってくれた大学でした。
ボランティアから始まり、世界一周など様々な経験をし、
僕は本当に来て良かったと今でも思っています。
しかし今でも心の底にあるのは、野球をしていた時の日々の思いです。
あの悔しさ、挫折、葛藤、楽しさ、挑戦する気持ちなど
本当に僕は野球をやっていたからこそ、この気持ちを味わえましたし、
今の自分があると思っています。
これからも奥底にある野球少年の心を持ち続け、
人生チャレンジし続けていきたいと思います。
A demain!
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